てくてくわくわく 街道ウォーク

週末の東海道てくてく歩きのブログです!

藤沢宿を歩く前に・・・ ちょっとつっこんだ事前チェック!

 次回ウォーク藤沢→茅ケ崎を前に、事前チェックは一応済んでいるのですが、先日、ふじさわ宿交流館でもらってきた数々のパンフレットを眺めているうちに、もう少しまとめておきたくなりました。藤沢宿の街道沿いには、昔の名残を感じる建物や風景が結構あるようで、見逃したくないなと思ったからです。

 JR藤沢駅遊行寺橋(江の島道)

東海道ではないのですが、せっかくあるくので、JR藤沢駅で降りて遊行寺橋へ向かうルートにも注目してみました。

庚申塔

藤沢駅北口から遊行通りを5分ほど歩くと、朱塗りの柵に囲まれた庚申堂があります。江戸時代、道教の影響を受けて人間の肉体には「三尸蟲」(さんしのむし)というものが巣くっていて、寝ている間に天に昇り、その人の罪を天帝に密告し、それによって人の寿命が決められるとされていました。その為、六十日に一度めぐってくる庚申の夜には、誰もが眠らず徹夜して、「三尸蟲」が抜け出さないように見張る庚申待の信仰が生まれました。この庚申堂は明治時代に小説家のラフカディオ・ハーンが江の島を訪れた際に立ち寄ったことでも知られています。このお堂は庚申待の宿や寄り合いの場所として使われていたようです。境内には、様々な「庚申供養塔」が連なる先に、市指定文化財の「青面金剛の像」(漢文十三年銘・1673)があります。髪は炎のように逆立ち、頂にはドクロがくっきりと見え、衣の裾には雌雄の鶏。「見ざる、聞かざる、言わざる」のシンボル三猿。中央の猿だけは「邪気面」の下で首をかがめてうずくまるポーズで、鮮やかに彫りだされた「青面金剛像」の威圧感を強調しています。
堂内には、江戸時代の作とされる木造の「青面金剛像」が両脇侍をともなって祀られています。この「青面金剛像」と両脇侍も市指定文化財ですが、開帳は六十年に一度、庚申の年と決められていますので、次にその姿を拝むことができるのは西暦2040年になります。なお、現在のお堂は「大正」時代に建て直されたものです。それ以前の庚申堂のようすについては「小泉八雲ことラフカディオ・ハーン(1850-1904)が『知られざる日本の面影』のなかで明治二十三年にここに立ち寄ったときの印象について述べていますが、その一文から察すると堂内はかなりひどくいたんでいたようです。

江の島弁財天道標

遊行通り先のロータリーの中には市指定文化財の江の島弁財天道標がたっています。この道標は、管を用いて鍼をさす管鍼術の考案者で、江の島弁財天を厚く信仰していたといわれる杉山検校が、江島神社に参詣する人々が道に迷うことのないようにと寄進したものと伝えられ、この他に市内にほぼ同形の道標が12基指定されています。

蔵まえギャラリー(旧榎本米穀店)

遊行通り先のロータリーの左手斜めにある少し細い道を進みます。この道は、藤沢宿から石上、片瀬を通って江島神社に至る江の島道と呼ばれた道筋で、江島神社に参詣する人々が歩いた旧道です。ほどなく行くと左手に元米穀商の土蔵造りの家が、わずかに往事を偲ばせています。このあたりを「蔵前」といい、江戸時代に年貢米を納入する蔵があったところです。

明治初期の境川の流れ

 

 以上をチェックポイントにします。白山神社、金砂山観音などもあるのですが、先を急ぎます。茅ケ崎まで行かなければんありませんから。

 

遊行寺橋~二ツ家稲荷神社(東海道

既に記事にしている「先取りふむふむ」ではチェックしていない場所を挙げます!

 

白幡交差点際看板「かながわ信金本町支店」横看板

東海道分間延絵図」に描かれた江戸時代の藤沢宿を現在のまちの姿に重ね合わせて作成した絵図が案内板になっています。街道ウォークのお宝パチリポイントとして要チェック!

 

旧家を見ておきたい!

 
石曽根商店


大正14年建築。明治34年創業の履物店。天井高く、商品や材料を納める棚を設けています。

桔梗屋店舗蔵

 明治44年築、母屋明治末年頃築。江戸時代からの茶・紙問屋を営んだ旧家。江戸型の店蔵の典型である藤沢で「蔵のまち」を伝える唯一現存する店蔵です。国登録有形文化財

稲元屋の南蔵・北蔵

稲元屋は弘化2年創業の雑貨薪炭商・呉服商。店舗は藤沢大火で焼失し、2棟の土蔵蔵だけ残っています。

みつはし園茶舗

大正14年建築。明治43年創業、木材は羽鳥の引地山で調達、大工も羽鳥村から呼んで建築したとのことです。藤沢の町屋の形式の建物です。

内田商店

昭和4年築。屋号は箱専」と言い江戸時代は指物師を営み明治に銅鉄問屋に転じました。藤沢の町屋の代表的な建物です。

内田商店の蔵

大正6年建築、壁を石組とする蔵。石材は房州石の最高級の桜目で、横須賀から牛車で運んだとの事です。

関次商店の蔵・関野家

明治6年創業の米穀肥料商。明治19年築の穀物蔵、明治40年築の肥料蔵があります。米穀肥料商として広範囲に商圏を拡大しました。

旧鎌田商店の蔵

明治30年築。明治10年代の紙商で石蔵のみ存在。石蔵は米穀肥料の保管庫。藤沢は明治から昭和にかけて肥料商や米穀の集荷商が集中しその姿を伝える貴重な存在です。

 

 見たいものが増えました。楽しみです!

 ここまで読んでくださりありがとうございました。また、訪ねてくださると幸いです。

 【参考】

ふじさわ宿交流館ホームページ

www.fujisawa-kanko.jp

 

パンフレット「歩いて見よう藤沢宿」藤沢地区郷土づくり推進会議発行

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