てくてくわくわく 街道ウォーク

週末の東海道てくてく歩きのブログです!

第5回 保土ケ谷→戸塚②

 保土ケ谷→戸塚に街道ウォーク、後半は東戸塚からです。

 

品濃坂

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 東戸塚を後に果樹園を見ながらのどかな道を歩いていくと、「品濃坂上」の表示がある場所に来ました。

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 来た道を振り返ると、こんな坂道。奥に見えるのは果樹園です。

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 「東海道」の表示の方へ進みます。歩道橋に向かって、急な階段になっています。

 

王子神社

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 王子神社は、街道沿いの丘の上にあります。うっそうとした鎮守の森の奥に社殿があります。本殿の下に護良親王の首が葬られているという予備知識のせいか、入っていく前に、一瞬足がすくみました。

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 社殿です。境内には不思議なものがいろいろありました。

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 たとえば、これとか、なんでしょうね?

 

成正寺

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 成正寺は、山王神社と同じ丘の上です。丘の上伝いに歩いていくと、本殿の屋根が見えてきました。落ち着いた雰囲気の、手入れの行き届いたお寺です。

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 裏から入ってしっまいましたが、山門はこうなっていました。高い場所にあるお寺だということがよくわかります。

 

益田家のモチの木

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 高さ18㍍と19㍍の2本のモチの木。これほどまでも大きくなったモチの木は大変珍しく、神奈川県指定天然記念物になっています。奥に茅葺の民家があるとの事前情報でしたが、取り壊され工事中の車両が入っていました・・・

 モチの木は残っています。

 

柏尾の大山道道標

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 東海道より大山道を入って10メートルくらいのところに、不動明王像や庚申塔があります。向かって右に建っているのが大山道の道標です。道幅が狭いのですが、ゆっくり見られるようにベンチがあって、さらに、車の通行から守るように、ベンチを囲むようにポールがたっています。嬉しい心遣い。

 

斉藤家土蔵

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 「鎌倉山」ハム誕生の地、斉藤家の土赤レンガの倉庫です。特に案内は出ていませんが、間違いないでしょう。

 

 この近くに「護良親王首洗井戸」があるという事前情報でしたが見つからず。街道を行ったり来たりして探しましたが、どうやら少し奥にあったようです。

宝蔵院

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 境内には集会所みたいな建物があり、遊具も少しありました。小学生の女の子が二人、ブランコに乗って遊んでいました。

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 お地蔵さまがお日様に照らされてぽかぽかいい感じだったので、パチリしました。境内には日本舞踏芸道精進の「扇塚」もあったらしいのですが、見逃しました。ちょっと残念。

江戸方見付跡

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 レストラン・フォルクスの前の植え込みにありました。説明板もあり、嬉しいですね。

 

妙秀寺

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 このお寺で注目されているのは、境内で保管されている「左かまくら道」の道標です。有名な広重の画で描かれている道標だと言われています。これについては、様々な説がありますが、とりあえずこれ。

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 裏の碑文は、経年変化で字の判読がなかなか難しいです。

 

一里塚跡

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 歩道の中に、このような案内標がありました。道路拡張で、一里塚の形跡はなくなってしまったのかもしれませんね。とりあえず、このあたりということで納得。

木之間稲荷

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 吉田大橋の袂のこんもりとした緑地の中に小さな赤い鳥居とお稲荷さんがありました。江戸時代に伏見稲荷の御分霊を祀ったものです。 

吉田大橋

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 広重の東海道五十三次「戸塚 元町別堂」の画で描かれていることで有名な橋です。夕方である上に逆光で、あまり良い写真ではないのですが、広重さんの絵と同じ構図で撮ってみたのでアップします。

 この橋の手前に、先ほどの妙秀寺に保管されていた道標があったのだそうですが、真偽のほどは分かれます。詳しくはブログで考察しているのでご覧ください。

 

kaz-mt-wisteria.hatenablog.com

 

善了寺

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 街道沿いのお寺。本堂まで、ゆるやかなスロープになっています。階段ではないのですね。バリアフリー?

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 どことなく洋風の本堂です。横浜では、このような洋風のお寺、結構あるのでしょうか。前回の宗興寺や勧行寺を思い出しました。

 

山王祠

 

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 今回のウォーク最後のチェックポイントでしたが、探すのにやや時間がかありました。小高い山の上だとのことで、確かに山はあるのですが私有地で入れなくて。Googleで調べて、「矢部トンネルの丘公園」の中に移転したことがわかりました。

 祠には「安政」と彫られていました。古いものなのですね。びっくり。

 

 戸塚駅に着いたら、15時47分になっていました。昼食30分を含めて6時間47分、29232歩のウォークでした。暗くなる前に到着できて何よりでした。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第5回 保土ケ谷→戸塚①

 11月12日(日)、まずまずのウォーキング日和、保土ケ谷→戸塚の街道歩きをしました。(同行者はおなじみ、くろやぎです。)

 保土ケ谷の駅に降り立ったら、「ん? さ、寒い!!」 先週は途中から汗ばむくらいだったので、今回は長袖コットンシャツ・ニットのベスト・パーカーという軽装で来たことをうっすら後悔。歩けば暖かくなるからと、気を取り直して出発です。時刻は9時ちょうど。

 

 

 

問屋場跡

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 前回チェックした助郷会所跡を通り過ぎ、いくらも歩かないうちに問屋場跡に。「跡」ですからね。まあ、こんな感じ。

 

高札場跡

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 宝暦13年(1763)に建てられました。幅約4.5㍍、高さ約3㍍もあったそうです! 前回見た、神奈川地区センター前の復元された高札場を思い出しました。

 

金沢道道標

 

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 金沢横丁という案内表示の道路を挟んで向かい側に、道標4基がありました。しかし・・・

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 敷地内工事中で、これ以上近づいて見ることはできませんでした。ここはマンションの1階に入っている店舗のようです。店舗の改装工事でしょうか。

 

刈部本陣跡

 

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 軽部さんのお宅の塀の中に、本陣門(左の青い屋根です)が残されています。残っているなんて、すごいですね!

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 門に、ぎりぎりまで近づいてパチリしてみました。

 

脇本陣跡(大金子屋跡・八郎右衛門)

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 道路を挟んで刈部本陣跡の向かいに、脇本陣跡(大金子屋跡・八郎右衛門)があるとのことでしたが、説明板が見つかりませんでした。ずいぶん探したのですが。位置的には、たぶんこの辺りかと。

 

脇本陣跡(富士屋四郎兵衛跡)

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 今度はちゃんと説明標がありました。よかった。

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 おそらくこのマンションの敷地が、脇本陣のあったところでしょう。

 

脇本陣跡(水屋与衛門跡)

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 水屋与衛門の脇本陣跡は消防署の敷地になっています。

 

旅籠屋跡(本金子屋伝左衛門跡)

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 中に入ることはできませんが、建物が残っていて、昔の宿場の雰囲気を感じることができます。

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 道路の反対側から、建物を撮ってみました。

 

茶屋本陣九左衛門跡

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 説明標を見つけて一安心。

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 向かって右側が、説明板のある道路。茶屋本陣があったのは、左側の辺りでしょうか。北方向を振り返って撮った写真です。

 

保土ケ谷の一里塚跡

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 「跡」ということですが、土を盛った感じとか、木が1本生えているところとか、一里塚っぽい感じ。江戸から8番めの一里塚です。

 

外川神社・上方見付跡

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 京都側からの保土ケ谷宿への入り口・上方見付はこの神社の前にあったそうです。

 神社は東海道を見下ろすように、小高い丘の斜面にあります。

 

樹源寺

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 旧東海道沿いにある樹源寺は、階段を上がった上にあります。

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 よく手入れされた落ち着いた佇まいのお寺でした。こじんまりとした庭には、池があって小さな滝も作られていました。

 

旧元町橋跡

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 あやうく見落とすところでした。見つけてよかった。現在の元橋はこれより少し先になりますが、川筋が変わる前は、ここに橋があったのですね。言われてみれば、小さな流れがあったかのような(?)雰囲気?

 

稲荷神社

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 右側に馬頭観音があります。「宝暦」年間に建てられたことが刻まれています。

 

権太坂

 

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 いよいよ権太坂です。確かに、急かな? 

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 こちらは権太坂改修碑。昭和30年代に坂の改修工事をしたことが記されていました。

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 坂を上りきったあたりに、権太坂の標石と、坂についての説明板がありました。背後は県立光陵高校です。見晴らしのいい立地の学校ですね。

 

投込塚

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 権太坂を降りて、少し歩いたところにありました。静かに手を合わせました。

 お花がお供えされたりしていて、いいですね。

 

若林家

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 牡丹餅が名物だったという立場茶屋をやっていた若林家。外観しかわかりませんが、それらしき雰囲気の門です。

 権太坂を越してきて、ちょうど休みたくなる立地ですね。さぞかし、賑わっていたことでしょう。

 

境木地蔵

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 こちらも、権太坂を越して、ふらりと立ち寄りたくなった場所だったことでしょう。境内で、お餅を売ったりしていたのかしら?

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 階段を上がると、お地蔵様の手水鉢が。

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 本殿です。

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 こちらは、境内のお地蔵さま。

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 法然上人の歌碑が目に留まりましたので、パチリしてしまいました。

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 境木地蔵尊の前に、道標を復元したモニュメントがありました。ここは、武蔵野国と相模の国の境でした。

 

 坂を上り切って安心してしまい、実はチェックポイントを1つ飛ばしてしまったことを、帰宅してから気がつきました。ショック! 「萩原代官屋敷跡」です。あぁぁ・・・ 見たかったなあ。

 

 実は後日くろやぎ(街道ウォークの同行者・夫)が、単独で東戸塚を再訪して、代官屋敷跡も見てきてくれました。くろやぎのブログにアップしているので、ご覧ください。

rkuroyagichan.hatenablog.com

 

焼餅坂

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 権太坂を登り切った跡は、今度は焼餅坂を下ります。江戸の人の旅は大変。こんなきれいな道ではなかったのですものね。今でも、けっこうなアップダウンですね。

 

品濃一里塚

 本来は一里塚は道の両側に設けられていましたが、両方とも残っていることはほとんどないそうで、ここの一里塚は両方残っている大変珍しい一里塚です。

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 京都方面に向かって右側がこちらの一里塚。解説板や説明標があります。

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 こちらは左側。個人のお宅の敷地です。

 旧道の面影をとどめた、狭い道幅です。拡張工事などがなかったから、こうして残ることができているのですね、きっと。

 

福寿観音

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 歩道橋の上の脇に、くっつくように建っている、小さな観音様。めったに見ない、珍しい立地です。

 歩道橋を渡ると、東戸塚駅前のイオンです。ちょうど12じを回ったところ。イオンでお昼にしたので、ブログもいったん閉じます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

弥次さん喜多さんを追いかけて 戸塚宿

 東海道をてくてく歩きながら、弥次さん・喜多さんの道中もたどっています。

 前回は、保土ケ谷宿での客引きの光景にたじたじになって

おとまりはよい程谷ととめ女戸塚前てははなさざりけり(弥次)

と歌を残してそそくさと通り過ぎた弥次さん・喜多さんは、武蔵と相模の国境にあたる品野坂にさしかかって、もう一首。

玉くしげふたつにわかる國境所かはればしなの坂より

「玉」は美称。「櫛笥(くしげ)」はくしばこ。「ふたつ」にかかる枕詞です。「所かわれば品かわる」のことわざとかけています。上手い歌ですね。

 さて、いよいよ戸塚宿を前にして、弥次さんは喜多さんに、宿の客引き女がうるさいから、ここでは親子のふりをしようと提案します。二人は名コンビとはいえ、歳の差は親子ほどもありますからね。弥次さんが、きちんとした親父さんに見えるかどうかはあやしいところですが、これより喜多さんは弥次さんを「とつさん(とっつぁん)」と呼ぶにわか芝居の道中となるのです。

 ところがいざ戸塚に入ると、この日の晩はどこかの大名がお泊りで、宿という宿が満室・宿泊お断り。ほとほと疲れ果て、ようやく見つけたのは、宿場町をもう出るかというところの、この日がオープン初日だという宿でした。上がって見ればなかなかこぎれいな宿で、宿の女中さんに迎えられ「お風呂をどうぞ、お食事をどうぞ」などと言われればほっとしたのか、「女中の顔は、真ん中がへこんだ石みたいだ」などとこっそり軽口をたたいたりして、すっかりいつもの調子に戻ってしまった弥次さん・喜多さんです。「女はもういやだ。親子のふりをしてやりすごそう。」と相談していたのにね。

 二人の「ああでもない、こうでもない」が面白いので、これより先、原文を現代文に直して紹介します。(完全に原文に忠実な訳ではありません。)

 

 女中が盃を持ってくると

弥次「おや、酒か。江戸の人間だとわかると、気前がいいと勘違いして、すぐ酒を持って来るんだから、閉口するね。」

喜多「なぜ酒を持って来るのかい? 別料金なのかい?」

弥次さんは「そりゃそうだろうよ」と言いながらてぬぐいを取ってお風呂に行ってしまいます。女中さんはお銚子一式をお盆に乗せて運んできて

「おひとつお召し上がりください。」

喜多「これはごちそうだ。親父にも早く上がれと言っておくれ」

女「はい、そう申し上げます」と出ていきます。弥次さんはお風呂からあがって

弥次「ははーん、なんだこりゃ。おい、お前、早く風呂に入ってこい。」

喜多「いや、飲んでからにするわ。」

弥次「おまえも意地きたないね。入ってきな。」

というわけで喜多さんもお風呂に行くのですが、宿の主人が出てきて

「なにもございませんが、ひとつ召し上がってください。」

弥次「いや、ご主人、これでは迷惑だ。」

主人「いえいえ、わけを申しますと、私共、これまで他の商売をしていたのですが、このたび旅籠屋になりまして、今日が店開きの日です。おふたりは初めてのお客様ですから、お祝いということでひとつ差し上げているのですから、お酒の別料金をいただきたいわけではございません。ご心配なさらず召し上がってください。」

弥次「それはめでたい。しかし、ごちそうになるなんて申し訳ない。」

主人「いえいえ、ご遠慮なく。まもなくお吸い物もお持ちします。」

弥次「いやもうおかまいなく。」

主人「どうぞごゆっくりなさってください。」と言って出て行ったのと入れ違いに、喜多さんがお風呂から出てきて

「聞いたぞ聞いたぞ。ただとはありがてえ。」

弥次「かっこつけてねえで、もういっぺん風呂に入って来いよ。その間におれが全部、飲んじまうぞ。」

喜多「そんなこったろうと思って、風呂に入っていても、体を洗う間も気が気じゃねえ。足なんかぁ、まだ泥だらけだぜ。かまうもんか、さあさあ、始めようぜ。」

弥次「もうとっくに始めてらあ。どれ、初めから仕切り直すか?」

喜多「いや、、おれはこれでいい。」と茶碗についでいきなりぐっと飲みほし、「ああ、いい酒だ。ところで肴は・・・おっ、白板の蒲鉾だぞ。こりゃ上等だ。鮫の蒲鉾なんかじゃねえし。生姜の梅酢漬けに車海老もあるぜ。やぼじゃねえ。こら、とっつぁんよ、この紫蘇の実の塩漬けが、こりゃあ大そううめえ。おまえはこればっか食ってろ。」

弥次「ばかいえ。そりゃ、後まで残るに決まってるだろうが。ところで、そろそろ、吸い物が来そうなもんだが。」

喜多「まあ待て。」と襖の間から厨房の方をのぞき「来るぞ来るぞ。今よそっていらぁ。なんだよ、神棚に供えるのか? いやいや来るぞ来るぞ!」と居住まいを正していると、やがて女中がお吸い物を持ってきて、

女「お銚子を替えましょう」と持っていきます。二人ともすぐにお吸い物のお椀のふたを取って、

喜多「ほう、赤味噌とはしゃれてるね。まさか、安物のそら豆の味噌じゃなかろう。ところで、銚子はどうなった?」

弥次「落ち着かねえやっちゃな。たった今、持って行ったわ。」

喜多「もう来るだろうな!」

女中が銚子を持ってくると、二人とも呑兵衛だから、「ほれ飲め」「おまえも、もっと飲めや」とやっているうちに、だんだん酔っぱらってきて、親子のふりもむちゃくちゃに。

喜多「ねえさんよぉ、ちいっと、酒の相手をしておくれ。」

女「私は、お酒は弱くて飲めません。」

喜多「まあまあ、そんなこというな。今夜はおまえとおれが夫婦になる約束をする酒にしようじゃないか。なぁ、おとっつぁん。」

弥次「せがれは、酔っぱらっておるから。」

喜多「なんだと、酔っぱらっただと! よく言うわ、親父め! ハハハハハ・・・」とろれつが回らない喜多さんです。女はびっくりしながらつがれた酒を飲みほして、弥次さんの方へ寄ると、

喜多「ちくしょう、親父め。調子にのりやがって。おい、女中、こっちへ来い。」としなだれかかるので、女中はあきれて逃げて行きました。

弥次「こら、おまえ。なんて悪い男だ。女の前で、あんなこと言うな。」

喜多「なんで言っちゃ悪いかよ? 悪かねえよ。おれは、あの太った女が、おかしな目つきでじろじろ見るから、もう、親子のふりなんか、やってられなくなったのさ。」

そうこうしているうちに食事も出てきて、なんやかんやとありましたが、長くなるので省略します。なまじ、親子だなどと最初に挨拶してしまったものだから、女中たちが真に受けて、いくら誘いかけても取り合ってもらえず、女っ気もなく寂しく寝床に着きました。夜が更けて、厨房も静かになって、おかみさんが小言をいう声が気になって、ろくろく眠れず、寝間着は垢だらけだし、シラミのおかげで体中かゆいし、隙間風もピューピューうるさくて、ほろ酔い気分もさめてしまい、今思い返せば、一人寂しく寝るはめになったのは、飯盛り女に嫌われたからなのでした。親子のふりをして、金銭面では得をしたというのがおかしくて、

一筋に親子とおもふおんなより只二すじの銭まうけせり

と口ずさんでうつらうつらしていると、箱枕にあたる耳の付け根が痛くなって、そのうち夜明けの鐘が鳴って、早々と表で助郷の馬が「ヒヒィン ヒイィン」といななき「ブウゥ ブウゥ」とおならもして、長持ちの人足が

「♪竹に雀は品よくとまる♪ ハイハイ、それでどうしたどうした」などと歌う声も聞こえてきて、すっかり目が覚めてしまったのでありました。

 

 親子のふりをした弥次さん・喜多さん、二人ともいい加減なひとたちですが、「ふり」とはいえ、弥次が一応分別臭いことを言うのがおかしいです。喜多さんは、やっぱり若者。酔っぱらってめちゃめちゃ(笑)

 『東海道中膝栗毛』、現代文に直してみましたが、原文もさほど難しくなく、そのまま読むと、江戸っぽい言葉遣いが直に伝わってきて、楽しいですよ。

 

テキスト:『東海道中膝栗毛』(麻生磯次・校注 岩波書店

 

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「まちなみ」ウォッチ 神奈川→保土ケ谷②

 神奈川→保土ケ谷「まちなみウォッチ」後半です。

 上台橋を渡って環状1号線の一本裏の道をてくてく歩きます。ふと、目に留まった公園の名前が「軽井沢公園」。えっ 横浜に軽井沢

 ここは横浜市西区南軽井沢という住居表示になっています。正真正銘軽井沢

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 浅間神社は「富士の人穴」という横穴式古墳あるというので境内を探しましたが特定できず。もしや、境内なんて小さな規模じゃなくて丘の斜面にあるのかと考え直し、神社を後してから振り返ったら、神社の後ろはこんなに見上げるような大きな丘になっていました。びっくり。

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大山道道標を過ぎてしばらく歩くと、「松原商店街」に入りました。お店がいろいろあって、いい感じです。商店街を入ってすぐのところの「うさぎや」という和菓子屋さんの店先で売っていた「おいわけ餅」(ひとつ150円)がおいしそうだったから、買ってしまいました。あんこものには、弱いのです(笑)

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 これは家に帰ってきてから撮った写真です。中にこしあんが入っています。平たい大福って感じ。やわらかくて、甘すぎなくて、おいしかったです。

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 「うさぎや」さんについては、同行者・くろやぎもブログにアップしています。

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 和菓子屋さんからしばらくいくと、いきなりすごい混雑に。

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 車を通行止めにして、道路にはみ出して露店が出ていて、ありとあらゆるもの、野菜でも、洋服でも、日用雑貨でも、なんでもかんでも大売出し。巣鴨のお地蔵さんの通りみたいな、アメ横みたいな、どちらでもないような。とにかくカオス。変わったものがいっぱい売っているお店だなと思ってよくみると、よくあるドラッグストアーのチェーン店だったりして。チェーン店の看板が埋没してしまうくらい、すごい場所。ちなみにこの商店街、縦だけでなく横にも伸びる通りがあって、そっちもすごそうでした。

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 松原商店街を出ると、今度は「シルクロード天王町」という商店街になります。

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 お店のあちらこちらで、こんな「保土ケ谷宿」の旗が出ていました。なんだか嬉しい。

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 旧帷子橋のモニュメント。後方に天王町駅が見えます。旧東海道天王町駅方面から続いてきて、ちょっと斜めに入ってこの帷子橋を渡り、橋を渡るとまた真っ直ぐな道になりました。

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 天王町駅まえの通り。帷子橋を渡ると、この道に入ります。江戸時代に整備した真っ直ぐな道です。ほんとに、真っ直ぐ。

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 街道沿いに、宿場町を連想するような古い建物があったので、パチリしました。

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 建物の隣にあったこちらの「髪型製作所」。なんか気になって、これもパチリ。髪型製作所ってなんだ?(ネットで見たら、美容院のようですね)

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 遍照寺近くの路地。「けんけんぱ」がかわいい(笑)

 こういうのが自然にあるのって、ほっとしますね。

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 助郷会所跡にあった自動販売機。宿場の解説があったり、一生懸命、盛り立ててくれているのがわかって、好感度◎ 頑張っている感じがいい。

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 程ヶ谷宿場通りの幟です。風が吹いて、写真に撮りのに苦労しました。お日様パワーも落ちてきたし。これからの季節、早めに目的地に着かないと、写真が撮れないですね。

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 ここまで読んでくださってありがとうございました。

 

 

 


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「まちなみ」ウォッチ 神奈川→保土ケ谷①

 昔の人に思いを馳せながらてくてく歩いていると、現代の町並みに紛れ込んだかつての東海道の気配や、かつての宿場町としての歴史を活かした現代の町づくりの工夫の数々が、あちらこちらに見られ、嬉しくなります。

 町並みは、日々変わるもの。記憶を記録にとどめておきたいという思いも込めて、2回にわたって紹介します。

 

神奈川地区センター

 地区センター前の敷石が青海波の模様になっていました。神奈川宿内では、神奈川小学校正門前のほか、お寺の門前など、青海波のデザインの敷石があちらこちらに見られますが、ここはかなり面積が広いですね。海原がイメージできます!

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 車止めは亀のデザインになっています。浦島太郎伝説の町だからですね。なかなかおしゃれです。この車止めも、あちらこちらで見られました。

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滝の橋と本陣跡

 滝の橋です。横浜は河川工事で川筋や橋の場所が変更されているケースが多い中、この橋の場所は、今も昔も変わりません。

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 橋を渡った先の茶色い建物ののさらに2・3軒先が、神奈川本陣のあった場所です。

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  橋の上の高架は第一京浜です。第一京浜の下の大きな道路を渡って右側(神奈川本陣跡の対角)に、青木本陣跡があります。「ランドシティ横浜ポートサイド」というマンションの場所なのですが、この個性的な配色のビルのすぐ先の角になります。

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横浜市立幸ケ谷小学校

 宗興寺に向かう途中、幸ケ谷小学校の横の坂道です。やっぱり青海波の模様になっていますね! 結構な急坂です。

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 幸ケ谷小学校は、擁壁の上にあります。壁面に、かわいらしい絵が描かれていました。なごみます。これがあるだけで、壁の威圧感が軽減されますね。

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宮前商店街~青木橋

 第一京浜をはずれ、宮前商店街という静かな通りに入りました。商店街といっているわりに、お店らしきものが見当たらず、人通りもありません。ちょっと不思議。車の往来が少ないのはありがたいのですが。

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 普門院の山門に続くゆるやかな坂道にいた猫さんです。普門院は、敷地に入った瞬間♪ピロピロピロピロ♪と鳴って、焦って退散したのですが、この猫さんに一部始終見られてしまいました。番猫だったりして(笑) お寺のある一角って、猫が多いと思いません? 気のせいかな?

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青木橋

 青木橋の淵にある、京急神奈川駅は、宿場をイメージして、平成4年の改築の際に和風の駅舎になりました。明治5年の鉄道開通のときに設けられた「神奈川停車場」は駅舎のすぐ南側にありました。そのような背景から、この駅の名前も「神奈川」になっているということです。「京急、なかなかやるじゃん!」というのが、感想です。

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 本覚寺の丘から、青木橋の交差点を見ています。アメリカ領事館、いいとこを取りましたね。眼下に人々の往来が一望できたことでしょう。

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青木橋~上台橋

 三宝寺、丘の上沿った道に(この写真でいうと向かって右手)門があるのですが、こうしてみると、丘から張り出すように建っていたんですね。ビックリ。

 よく見ると本堂裏側と左側の建物の屋上が、空中廊下でつながっていますが・・・

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 建物の1階は、こちら。反対側の道路からも入れます。ずいぶん込み入った構造ですが、いつからこうなったのでしょうね? 鉄道開通で、切通をつくったときでしょうか?

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 みなとみらい線の開通に伴い、それまでここを走っていた東急東横線が地下に潜ったので、緑道になりました。トンネルの遺構が、鉄道があったことを十分イメージさせてくれます。

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 台町にある料亭「滝川」の脇の坂道です。

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 こちらは「滝川」の少し先にある「田中家」の脇の坂道。かなりの急坂です。昔はこの先は海で、崖に張り出すように茶屋や料亭が軒を連ねていました。広重さんの浮世絵を思い出して、納得。

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 上台橋

 橋の下は道路で、そのまた下は、地下鉄ブルーラインが通っています。

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 上台橋の上から、第一京浜を見ています。

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  このあたりが西の宿出入り口だったそうです。ブログもいったん閉じます。後半は、また明日。


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街道ウォークのお宝 神奈川→保土ケ谷②

 街道ウォークのお宝は、自分の足で歩いて集めた情報。たとえば、各地の説明板とか。

 神奈川→保土ケ谷の説明板の数々、後半です。街道歩きの途中で足を止めて眺めるイメージで、ご覧ください。

 *数字は、旅の記録の記事と合致しています。

 

20.勧行寺

 

 

21.浅間神社

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22.大山道道標跡

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追分と江戸見附の間に地図がありました。とても分かりやすいです。

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23.江戸方見付跡

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24.橘樹神社

 

 

25.帷子橋

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 この地図の赤いルートが旧東海道ですね。

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 なるほど、絵の道も、川に直角に橋を架けたため、橋の上だけ斜めに曲がっています。すごく納得。

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  こちらも、現在の地図。さらに納得。

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  旧帷子橋の場所、天王寺駅前公園内の案内図です。

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26.香象院

27.大連寺


28.旧中橋跡

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 河川改修工事で出た土を品川の台場の埋立に使っていたとは! 残土の有効利用、昔からやっていたんですね。びっくり。


29.遍照院

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30.大連寺

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31.助郷会所跡

 

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 反省

 説明板に気がつけば、パチリしていたつもりなんですけど、結構、ヌケがありますね。せっかく旅のお宝のチャンスだったのに。次回からは、「お宝お宝」と意識することにします。特に後半になると、集中力が途切れちゃうから、要注意(汗)。

 


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街道ウォークのお宝 神奈川→保土ケ谷①

 街道ウォークのお宝は、自分の足で歩いて得た現地の情報。事前チェックではベールに包まれていた事柄が、説明板を読んで初めて明らかになることも。ウォーク先でパチリした説明板の数々をアップします。ウォークの途中で立ち止まって眺めているような気分で、お読みください。前半は、例によって上台橋までです。

 数字は、「旅の記録」ブログの番号と合致しています。

 

1.神奈川地区センター

 「高札場」が復元についての解説

 

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2.成仏寺

 

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3.慶運寺f:id:kaz-mt-wisteria:20171105222914j:plain


4.浄龍寺

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5.滝の川f:id:kaz-mt-wisteria:20171105220849j:plain


6.神奈川本陣跡f:id:kaz-mt-wisteria:20171105221007j:plain

 

7.宗興寺 

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ヘボン博士の記念碑の碑文です。

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8.青木本陣跡

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 図を拡大します。本陣の位置関係がよくわかりますね。

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9.洲崎神社

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10.普門院f:id:kaz-mt-wisteria:20171105221331j:plain

 

11.甚行寺

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12.青木橋 

 青木橋の上(京急神奈川駅側)にあった説明板です。

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13.本覚寺f:id:kaz-mt-wisteria:20171105221642j:plain

 塗装業者郷戸慰霊碑の碑文

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14.三宝寺 

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*次のチェックポイントへ向かう途中の東横フラワー緑道についての説明板です

 「みなとみらい線」の開通に伴い、「東急東横線」が地下化されたことから、その上部を緑道として整備し、「東横フラワー緑道」としました。

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15.大網金毘羅神社
16.神奈川の一里塚跡

 大網金毘羅神社鳥居脇の説明板

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17.田中屋

 田中屋手前、料亭「滝川」の塀にはめ込まれていました。

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18.神奈川関門碑

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19.上台橋 

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